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大阪地方裁判所 昭和42年(ワ)4081号 判決 1973年5月30日

原告 杉山トク 外三名

被告 国 外六名

訴訟代理人 古城毅 外五名

主文

原告等の請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用は、原告等の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告等は、「被告等は、原告等に対し別紙物件目録記載の土地についてなされた別表登記一覧表記載の各登記のうち、当該被告を登記権利者とする登記の抹消登記手続をせよ。訴訟費用は、被告等の負担とする。」との判決を求め、被告等は、それぞれ「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求めた。

第二原告等主張の請求原因

一  別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)は、杉山織之助の所有であつたが、被告国の機関である大阪府知事は、昭和三五年一一月一日農地法第九条によりこれを買収した上、同日同法三六条により、本件(一)の土地を被告井上に、本件(二)、(三)の土地を被告檀野にそれぞれ売渡した。本件土地については別表登記一覧表記載の如く、右買収、売渡しを原因とする所有権移転登記が経由されているほか、本件(一)、(三)の土地につき被告三宝製缶株式会社と被告株式社会菊池鉄工所のための所有権移転登記及び被告中小企業金融公庫のための抵当権設定登記が、本件(二)の土地につき被告安井のための所有権移転登記がそれぞれなされている。

二  しかし、本件買収処分は次に述べるような理由で無効であるから、これによつて被告国が所有権を取得するいわれはなく、従つて、買収に引続く売渡処分や売買、抵当権設定もその基礎を欠くことになり、右一覧表記載の各登記はすべて抹消されるべきである。

1  本件土地は、買収処分当時小作地ではなく、農地でもなかつた。即ち、織之助は昭和一四年五月頃黒山地方にある本件土地を含む周辺の数千坪の土地を、同人が大阪市住吉区内で経営していた太洋レース・ネツト有限会社の工場移転のための用地として買受けたものであるが、戦争の激化に伴い工場の機械器具の一部を疎開させるべく、昭和一九年八月頃地続きになつている本件土地の中央部に木造バラツク建倉庫を建築してレース編機械三台を格納したほか、その周辺の随所に壕を掘つて右機械の付属用品を搬入したり、周囲の空地上に積み上げたりし、更にこれ等を管理する右工場の従業員のための防空壕を設置する等した。このような事情から、織之助所有の付近の土地は昭和二三年七月に農地解放によつて買収されたのに、本件土地については工場用地であるとして自作農創設特別措置法(以下「自創法」という。)第五条第五号により買収除外の指定がなされた次第である。

その後、織之助は本件土地上に工場を建築すべく計画中のところ、戦後の混乱期であつたことや、まず大阪市内の既設工場の再建に力を尽したところ、右計画の実現は将来のこととして遷延されていたとはいうものの、前記のように本件土地が倉庫等の敷地として利用されていた状況はその後も何等変ることなく本件買収処分当時まで維持されて来たのであり、もとより被告井上や被告檀野に対し耕作のための賃貸借による権利を設定したこともなかつた。従つて、本件土地は小作地でないのは勿論のこと、そもそも農地ではなかつたのであるから、これに対してなされた本件買収処分には、重大かつ明白なかしがあるというべきである。

2  本件土地は、大阪府農地委員会により、昭和二三年八月一八日付で自創法第五条第五号による買収除外の指定を受けた土地であり、かかる指定を無視して買収処分をすることは許されない。仮に右指定当時の事情がその後変更したとしても、買収処分をするためには、その前提として右指定を取消す必要があるが、右指定が取消された形跡は存しない。そして、右のような買収除外指定地に対してなされた本件買収処分には、重大かつ明白なかしがあるというべきである。

3  仮に本件土地につき何人かが耕作をなし、かつ小作権を有していたとしても、本件土地は買収処分当時、近く農地以外に使用目的を変更することを相当とする状況下にあつた。即ち、本件土地は三筆が相接続して一団となつているところ、その北側は東西に通ずる幅員約五メートルの道路に接し、右道路は西方約一・五キロメートルで南海電鉄高野線初芝駅に達するが、本件買収処分がなされた昭和三五年当時、右道路沿いには人家、工場が相次いで建築されており、また本件土地の西方二〇〇メートルの地点には美原町立八上小学校が建設されていた。そして、現在では本件土地の周辺には人家、工場が数多く建築されている次第であつて、以上のような状況からすると、本件土地は買収処分当時、周辺の土地と共に既に農地としての性格を失い、宅地に転化することが必至とされる状勢にあつたというべきである。もつとも、本件土地について織之助は農地法施行規則九条所定の申請書を大阪府知事あてに提出したことはなく、従つて農地法第七条第一項第三号(現行の第四号)による指定もなされていないけれども、本件土地の客観的状況が右の如くである以上、右指定がなくともこれを買収することは違法であつて、右買収処分には重大かつ明白なかしがあるというべきである。

三  織之助は昭和三七年五月三〇日に死亡し、原告等は同人の共同相続人として、同人の権利義務の一切を承継した。

四  そこで、原告等に対し、本件土地についてなされた別表登記一覧表記載の各登記のうち、当該被告を登記権利者とする登記の抹消登記手続をすることを求める。

第三請求原因に対する被告等の答弁及び主張(被告等、全員につき共通)

一  原告等主張の第一の事実は認める。

二  同第二項の事実中、本件買収処分が無効であるとの点は争う。

1  織之助が昭和一四年頃黒山地方に本件土地を含む土地を買受け所有していたこと、本件土地につき原告主張の日時に自創法第五条第五号による買収除外の指定がなされたことは認めるが、その余の事実は争う。本件土地は織之助が買受後草地のままであつたが、昭和一九年頃、同人から本件土地を含む周辺の土地の管理を委任されていた安井粂造の承諾を得て、本件(一)の土地を被告井上の父井上菊次が、本件(二)、(三)の土地を被告檀野がそれぞれ開墾した上、いずれも小作料は金納の約で借受けて耕作を開始し、以来本件買収、売渡処分が行なわれるまでの間引続き耕作して来た。そして、右両名は粂造に対し昭和一九年から昭和二二年まで毎年一回現金で年貢を支払つており、昭和二三年以降については同人が本件土地は買収されたといつて受取らなかつたに過ぎない。なお、本件土地につき自創法第五条第五号の指定がなされていたこと自体、本件土地が小作であつたことの証左でもある。

しかも、本件土地は元来低地であつたので浸水による被害を受けやすく、少し掘つても地下水が湧出するような状態であつたから、原告等が主張するように、本件土地に倉庫や壕が設置され、機械が格納されたということは到底あり得ないことである。

2  本件土地につき自創法第五条第五号による買収除外の指定があつたことは前記のとおり認めるが、その余は争う。右指定の効力は本件買収処分前に失効しているから(農地法施行法第八条第三項)、本件買収処分は何等違法ではない。

3  本件土地が三筆相接続し、その北側が東西に関する幅員約五メートルの道路に接し、右道路の西方約三キロメートル(一・五キロメートルではない。)に南海電鉄高野線初芝駅があること、本件土地の西方二〇〇メートルの所に美原町立八上小学校が昭和三六年(昭和三五年ではない。)に建設されたことは認めるが、その余の事実は争う。本件買収処分当時、本件土地の付近一帯は専ら農地として利用されていて、目ぼしい建物も存在せず、地形や周囲の状況から見て近い将来に宅地化するとは全く考えられなかつたし、八上小学校にしても、町村合併の結果その中間地点に統合のために建設されたもので、人口増加に対処したものではない。そもそも本件土地の周辺に宅地化の傾向が出て来たのは昭和三七年以降のことであつて、本件買収処分当時はかかる傾向はなかつたのであるから、本件買収処分には何等無効となるようなかしは存しない。

三  原告等主張の第三の事実は知らない。

第四証拠関係<省略>

理由

一  本件土地が杉山織之助の所有であつたこと、大阪府知事が被告国の機関として昭和三五年一一月一日農地法第九条により本件土地を買収した上、同日同法第三六条により、本件(一)の土地を被告井上に、本件(二)、(三)の土地を被告檀野にそれぞれ売渡したこと、本件土地について別表登記一覧表記載のように右買収、売渡しを原因とする所有権移転登記が経由されているほか、本件(一)、(三)の土地につき被告三宝製缶株式会社と被告株式会社菊池鉄工所のための所有権移転登記及び被告中小企業金融公庫のための抵当設定登記が、本件(二)の土地につき被告安井のための所有権移転登記がそれぞれなされていることは、当事者間に争いがない。原告等は本件買収処分が無効であると主張するので、以下無効事由の有無について順次検討する。

二  まず、本件土地は買収処分当時農地ではなく、小作地でもなかつたとの主張について考えるのに、非農地の点についてはこれを認めるに足りる証拠がなく、また非小作地の点については、証人青木直の証言、原告杉山利治本人の尋問の結果中にはこれに符合する部分があるが、右部分は後記認定の事実と対比してたやすく措信し難い。却つて、<証拠省略>を総合すると、織之助は大阪市住吉区内で経営していた太洋レース・ネツト有限会社の工場増設用地として、昭和一四年頃黒山地方に本件土地を含め約五、〇〇〇坪の土地を買受けた上(同人がその頃同地方に本件土地を含む土地を買受けたことは、当事者間に争いがない。)、右買受地の管理を地元の有力な農民で、買受けの際の仲介人でもあつた安井粂造に委任し、小作料の決定、徴収等の任に当らせていたこと、本件土地は右買受地の東南のはずれに位置し、北から南に(一)、(三)、(二)の順で地続きとなつた土地であるが、他の土地がいずれも農地として利用されていたのに、本件土地のみは地勢の関係で農耕されず、灌木や雑草が生い茂つたまま放置されていたところ、本件土地の西隣りにある織之助所有の田地の小作人であつた被告檀野が昭和一八年暮頃に本件(二)、(三)の土地を、次いで本件土地の北西側の織之助所有の田地の小作人であつた井上菊次(被告井上の父で、当時出征中であつた。)の妻井上スヤ等家族が昭和一九年初め頃に本件(一)の土地を、それぞれ管理人の粂造の了解を得て開墾し始め、えんどう、じゃがいも、さつまいも等の畑作をするようになり、その小作料は粂造が取決めた額をその直後頃から同人に支払い、同人は他の小作料と一括して織之助に交付していたこと、なお、粂造が記帳して織之助に交付した年貢帳には、従前からの被告檀野や菊次の小作料とは別個に、昭和二〇年度分として「檀野吉松」名義で畠一〇円五〇銭と、昭和二二年度として「檀野吉松」名義で畑一五円、「井上常雄」名義で畑四〇円とそれぞれ記載されていること(右名義人は実在の人物ではなく、また被告檀野や菊次の従前からの小作料が別個に記娠されていることからすると、檀野吉松名義の分は本件(二)(三)、日の土地の、井上常雄名義の分は本件(一)の土地の小作料を指すものと推認される。)、しかして戦後の農地解放に伴い、織之助所有地は本件土地を除き不在地主の所有する小作地として買収の上、小作人に売渡され、木件土地については大阪府農地委員会により昭和二三年八月一八日付で自創法第五条第五号による買収除外の指定がなされたが(右指定の事実は当事者間に争いがない。)、被告檀野や復員した井上菊次は引続き本件土地を耕作し、この状態は本件買収処分当時まで継続していたこと、もつとも小作料については、右両名において昭和二三年暮に同年度分を粂造方に持参し、同人から織之助に交付しようとしたが、織之助が受領しなかつたので、右両名に返却され、以後本件買収処分時まで小作料の支払いをしていないこと、以上のような事実が認められ、右認定に反する<証拠省略>は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

これを要するに、被告壇野は本件(二)、(三)の土地について、被告井上の父菊次は本件(一)の土地についてそれぞれ適法に小作権を取得し、本件買収処分当時まで引続き本件土地を耕作していたというのであるから、本件土地は買収処分当時小作地であつたものと認められる。そして、年貢帳に架空の名義を用いて小作料が記帳されている点については、被告檀野本人が供述している如く、他の小作地の場合と小作料を決める基準が異なつたという事情を斟酌すると、敢て異とするに足りないし、架空名義にせよ織之助が粂造を介して小作料を収受したという事実がある以上、右認定を左右しない。また昭和二三年から買収処分時までの小作料が支払われていないことは前記のとおりであるが、昭和二三年度分については織之助が受領しなかつたまでのことであり、その後の分については、小作契約が解消された形跡が見られない本件にあつては、小作人の単なる履行遅滞の状態が継続したと評価し得るに止まるから、これまた前記認定の支障となるものではない。なお、前記の買収除外指定がいかなる事情に基づくものであつたかは明らかではないが、自創法第五条第五号の指定自体、当該土地が小作地であることを前提としているのであるから<証拠省略>前記認定を裏付けて余りあるものというべきである。

ちなみに、<証拠省略>は、識之助が昭和二〇年三月頃大阪市住吉区内の工場にあつたレース編機械を疎開させるため、本件土地に二列の壕を掘り、トタン屋根を葺いて約三〇坪位の倉庫を建築した上、予め解体して木箱に梱包した機械の部品を格納し、終戦後の同年八月から一二月にかけて元の工場に引揚げたが、その間に本件土地を耕作の用に供していた者はなかつたとの趣旨の供述をしており、<証拠省略>も、本件土地であつたかどうかは別として、ほぼ同様の供述をし、<証拠省略>にもその旨の記載があつたので、これ等が真実であるとすれば、先に認定の被告檀野や井上菊次の家族が昭和一八、九年頃から本件土地を耕作していたとの事実と抵触することになるが、<証拠省略>と対比するならば、右のような機械の疎開、格納の事実が仮にあつたとしても、その場所が本件土地であるとはにわかに断定し難いというべきである。

そうすると農地であり、かつ小作地であつた本件土地に対してなされた買収処分には、この点についてのかしは何等存しないといわなければならない。

三  次に、本件土地が自創法第五条第五号による買収除外指定地であるならば本件買収処分は無効であるとの主張について考えると、本件土地が右のような指定地であることは前示のとおりであるけどれも、自創法の廃止と農地法の施行に伴う経過措置について規定した農地法施行法第八条第三項によれば、農地法施行の際現に自創法第五条第五号の指定を受けている小作地は、農地法施行の日(昭和二七年一〇月二一日)から一年を限り、同法第七条第一項第三号(現行の第四号)の指定を受けたものとみなされに止まるから、右期間経過後は自創法による指定は失効したものと取り扱われるわけである。従つて、右指定があつたからといつて、昭和三五年になされた本件買収処分の効力に消長をきたすいわれはないから、右主張は失当である。

四  更に、本件土地が買収処分当時近く農地以外に使用目的を変更することを相当する状況下にあつたとの主張について考えると、まず本件土地について農地法第七条第一項第三号(現行の第四号)による指定がなかつたことは原告等の自認するところであるが、右指定がない場合でも、極めて近接した将来において宅地化されることが客観的に明白であるときは、右法条に該当する土地として所有制限の例外たり得、従つてかかる土地に対する買収処分は無効になるものと解するのが相当であるので、右の見地に立脚して検討を加えるに、本件土地の北側が東西に通ずる幅員約五メートルの道路に接していることは当事者間に争いがなく、<証拠省略>を総合すると、右道路の西方へ徒歩約三〇分で南海電鉄高野線初芝駅に達すこと(同駅が右道路の西方にあることは当事者間に争いがない。)、右道路は従来は幅員約六尺であつたが、昭和三四、五年頃に拡張されたもので、その頃本件土地から五〇メートル離れた位置に工場が建設され、また昭和三六年頃本件土地から約二〇〇メートル西方に南八上小学校の校舎が建てられこと(右校舎の位置関係は当事者間に争いがない。)、右以外では本件買収処分当時において本件土地の周囲には目ぼしい人家、工場等はなく、いわゆる田園地帯であつたこと、昭和三八、九年頃前記の道路が舗装され、その頃から右道路沿いに人家が立ち並ぶようになつたものであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はないところ、以上の事実によれば、本件土地が近い将来に宅地化されることが客観的に明白であつたとは到底言い得ないのであつて、この点についても原告等の主張は排斥を免れない。

五  右に検討したとおり、原告等主張の買収処分の無効事由はいずれもその理由がないから、本件買収処分が無効であることを前提として別表登記一覧表記載の各登記の抹消を求める原告等の請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも失当として棄却すべきであり、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 青木敏行 福井厚士 水野武)

別紙物件目録及び別表登記一覧表<省略>

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